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業田良家『自虐の詩』
えーみなさまこんばんわ、ハリでございます。
今日はいつもと少し文体を変えまして、そしていつものようにマイナー漫画を紹介していきたいと思います。

さて今回はいつもよりは幾分、メジャーな漫画をセレクトしてみました。
業田良家の『自虐の詩』です。これ売れはしなかったし、今じゃ文庫版くらいしか見かけないという、なんというか、例によって不遇な漫画ですが、評価は高いんですよね。ちょっと漫画レビューサイトとか、ベスト100を選ぶサイトとかいくと、大体、褒められてる。好きな人が多いんですね。でもマイナーなんです。有名な話でこの作者がヤンマガのパーティーに顔だしたら社長に「まだ君は漫画描いてるのかい」と言われたことがあるそうです。まだ連載中にです。それくらいマイナーなんです。
その理由簡単です。地味なんですね、この人の漫画は。それでいながらずっとずっと読み進んでいくと最後に大きなカタルシスが待ってる。読み終わった時、大きな感動があるんです。そこなんです、人気は。だから『自虐の詩』といえば、凄く好きだという人と全く知らないって人と両極端なんですね。マイナーであり、同時にすっごく評価が高い。今回、紹介する漫画はそんな作品です。
幸江とイサオ、二人の中年男女がこの漫画の主人公です。地味ですね。この二人、同棲はしてるけど、結婚はしていない。幸江は食堂で給仕の仕事をしていて、イサオは毎日、家で酒を呑んで働きもしない。しかも幸江に暴力を振るう、なにかというとちゃぶ台をひっくり返す。このちゃぶ台をひっくり返すのが毎回のオチなんですね。あ、言い忘れましたが、この漫画、4コマ漫画です。つまり働かない男と幸薄い女の同棲生活の4コマ漫画なんです。売れそうにないですね。
さて、これは『自虐の詩』に限らず、業田良家の漫画の全編に言えることなんですが、この漫画、「幸江が何かを言う、イサオがそれに対してちゃぶ台をひっくり返す」という一連のパターンの繰り返しから始まるんです。常にネタは一つなんです。例えば『良家童話』だったら、「ステテコ姿の源さんが総理大臣になったら」というネタであり、『詩人ケン』であったら「無職のパンク詩人の日常」というネタのみで構成されているわけです。一つのネタの繰り返しなんです。
だから『自虐の詩』もしつこいくらい、繰り返し繰り返し、幸江とイサオの生活の4コマ漫画が続くです。繰り返し、これ大事です。業田良家って人は常に風呂敷は小さく広げるところから始まるんです。『良家童話』が最初、一発ネタの漫画だったのが、繰り返しされていくうちに日本でも有数のポリティカル漫画に発展してしまったようにですね、最初はそんな壮大な物語になるようには見えないんです。
『自虐の詩』も同様です。お約束ギャグが繰り返されていくうちに、幸江やイサオやそのまわりの人々がどんどんどんどん掘り下げられて描かれていくんです。彼らは何を考えているのか、どんな半生を過ごしてきたのか。そういう人物描写が、やはり繰り返し繰り返し行われてくんですね。そして最初は薄っぺらだった人物が次第に色濃く、そして切実にその姿を表していくんです。人間を描く。これがこの人の漫画の一番の魅力なんです。ありきたりな4コマギャグが繰り返されていくうちに、人間像が確率されていく。こんな4コマ漫画書いてる人、他にいませんね、キャラクター4コマ書いてる人、いっぱいいますけど、誰も業田良家のようには書きません、ある程度、読者とのなぁなぁの中で掘り下げるという作業を放棄してしまいます。業田良家はそれをしません。読者との関係とか忘れてひたすら掘り下げるんです。おかげでこの人の漫画は力がありながらも地味なんですね。延々と繰り返すだけですから。でも、その人、人、人を書く漫画、これが凄いんです。
『自虐の詩』地味ながら読んでみて下さい、きっと最終回泣いてしまいます。私、これ読むたびラスト泣いてしまいます。ものすごいカタルシスが身体包むんです。ああいい漫画読んだなぁって。最終回のはついに4コマ漫画の体裁が崩れてきます。4コマ目が落ちなくて、そのまま次の1コマに繋がってくようになります。でもこれが踏み越えなんです。繰り返されてきた積み重ねがついに4コマ漫画のリズムすら踏み越えてしまうんです、それが不自然じゃないんです。この素晴らしい幸江とイサオの話、是非読んで下さい。
はい、今日は業田良家の『自虐の詩』でした。
それではサイナラ、サイナラ、サイナラ。


(ハリジャンぴらの)
| ハリジャンひらの | 13:27 | comments(0) | trackbacks(0) |
『風呂上がりの夜空に』小林じんこ(もしかすると絶版)
ここ経由でヘッポコ自サイトの掲示板にやって来てくださった強者がいたりして「ほほう、よみまんもなかなか使えるなぁ」とちょっと馬鹿にしていたよみまんに感心してしまったハリです。うす。以上、挨拶。
見てる人いるんですね、このレビュー。びっくりするぐらいアクセスないのに(ププ)
ちなみにその時は漫画喫茶のパソコンの前で春日光広の『ザ・サムライ』の続編の『サムライ刑事』という半年後には100円で売ってそうな新刊を読んでました。つまらねぇ。

反響といえば思ったより『ニナライカ』を読んでいる人がいたのに驚きました。さすがはマンガ読みが揃ってます。もっと誰も読んでいないのを発掘・紹介するのがオイラのお仕事。精進しなければ。
さて今回紹介するマイナー漫画はというと……。

『風呂上がりの夜空に』小林じんこ

この作品は名作なのだが、好き嫌いが別れるようで、今までも絶版→再販→絶版→再販という経緯を繰り返してる、ある意味、幻の作品。最後に出た新装版も絶版かも知れない。
ちなみに古本屋にいくと一番最初の版の(ヤンマガKCスペシャル)安いセットを多々見かけるので、読みたい人はこちらを捜して欲しい。
なぜ好き嫌いが別れるかというと実に単純な理由。
絵柄がどうにも古臭いのだ。80年代のよく言えばポップな、悪く言えば乱雑な少女漫画絵なのである。初期の岡崎京子のようである。一コマの情報量が多く、細かな音楽ネタ(タイトルがRCサクセションの名曲からとっているように80年代バンドブームの影響が強い)があちこちに散りばめてある。しかも写実的でもスタイリッシュでもなくヘタウマ系である。悪い言い方をするとそういう画面である。
読み手によっては数ページで断念してしまうこともある。80年代を感じさせるタイトルと内容であり、ある意味、そういった時代性を楽しむ漫画でもある。
しかし、そんな「一周回ってまた面白い」的な面白さがこの漫画の真価なわけではない。今、読んでも充分に新しいし、スリリングなのだ。実際、このレビューを書くために悪友と数年ぶりに読み返してみて、二人で「面白い!」と声を合わせて言ってしまったくらいに。
ストーリーは単純である。数年前にヒロインが怪我をしそうなところを救って傷を負った主人公が、高校入学をしてヒロインと再開するという、『愛と誠』のパロディのラブコメだ。この「もえ」というヒロインと辰吉という主人公(あらためて考えると二人ともファンキーな名前だ)のラブストーリーが主軸なわけだが、ここではそれは重要ではない。この漫画は粗筋を話してしまうとじつに平凡なラブコメでしかない。
この漫画の何が面白いか。それは物語が主軸から離れていく瞬間である。主人公たちの恋愛譚が主軸であるし、それによって物語は初めて動き出すのであるが、一コマの情報量が膨大なのと同様に、この漫画は膨大な横道にそれた物語で構成されているのである。こういうと、様々なタイプのサブキャラが大量に登場することによって、異なる嗜好の読者に支持される90年代的な、いわゆるキャラ萌え漫画を想像してしまうかも知れない。しかしそういった方法論をこのラブコメ漫画はとっていない。
こればっかりは読んでみて実感して欲しいのだが、この漫画は全く毛色が違う様々な一話完結の物語の集合体なのである。そしてその個別の物語を一本化しているのが主人公たちの恋愛譚なのだ。
本筋とは関係ない横道にそれた話ばかりで構成されたラブコメ漫画。これが『風呂上がりの夜空に』の正体だ。
しかも各話ごとに物語のギミックが異様に凝れられていて読み手を飽きさせない。複数の物語が同時進行する入れ子式の話や、数話にまたがる夢落ちの話、複雑に入り組んだスパイラルな話、全く主人公たちが出て来ない話など、様々な実験的な物語の集合体である。どんな漫画やアニメやドラマにも一話ぐらい「なんだかよく判らない話だったが、いつもと毛色が違って面白かった」という話があるだろう。あれが毎回になっているといったら、想像してもらえるだろうか。この文章を書くためにいくつかのレビューサイトをまわってみたが、「第××話が面白い」などという各話に絞ったレビューが多かった。確かにこの漫画の面白さについて語ろうとしたら細部について見つめるべきであり、全体についてとらえようとすると、難しいのかも知れない。非常にスキゾでポップな作品なのである。
スキゾフレニーなんて言葉を使って思い出すのはやっぱり80年代に流行った浅田彰の『逃走論』だろう。浅田彰は今後の文明はトータライズされた文明ではなく、瞬間を生きる逃走的な文明であると予言した。その予言が当たっているかはとにかくとして、そんな面でもこの漫画は80年代的なのだ。
さてこれも重要なことだが、トータライズされた物語、つまり主軸となる主人公たちの恋愛譚だが、ここも充分に面白い。まったとうな心理劇が展開する主軸の物語も目が離せないし、どこか切ない。このラブコメ漫画には90年代以降、恋愛漫画が失ったものがあるし、それ以前の恋愛漫画にはなかったものがある。これも時代性だろうか。

ところで現在、小林じんこという作家は結婚とかいろいろ理由があり、ほとんど「消えた」漫画家状態になってる。3年に1作というレベルだ。『りなことお兄ちゃん』が時々掲載されているらしいが、すでに1巻が絶版だ。果たして完結するのやら。


(ハリジャンぴらの)
| ハリジャンひらの | 13:25 | comments(0) | trackbacks(0) |
二回目というか二番手登場! ニナライカ 原作:川崎ぶら 原画:秋重学
はじめましてやらうっすやら。
書き手二番手のマンガ読みハリジャンぴらのでございます。
糞マンガとどマイナーマンガと古いマンガを愛するゲテモノのマンガ読みです。
がんばってシドイレビューばかすか書くぞー。
さて一番手のnaveさんがわりと有名なマンガの紹介をしてくれたので、ここはオイラが数年前まで読むことさえ不可能だった、どマイナーマンガの紹介をしてバランスをとってみましょう

というわけでオイラの一冊目はこれ。
ニナライカ 原作:川崎ぶら 原画:秋重学

連載終了から5年たってやっとコミックスが出たといういわくつきのマンガ。
今から7〜8年前、ビックコミックスピリッツの増刊で「スピリッツ21」という雑誌があった。
いつの間にか月刊になり、いつのまにか「manpuku」と誌名を変えて、いつのまにか消えてしまった、タブン誰も覚えていないし、誰も買っていなかった幻の雑誌である。(試しにググってみたが全く引っかからない)
ところがこの雑誌、スピリッツの2軍的役割の中で新人の作品や中堅作家の読み切りをやっていたことで、ある意味面白い雑誌となってしまった。山本直樹の『プラグメンツ』や吉田戦車の『一生懸命機械』や唐沢なをきの『怪奇版画男』など後にコミックとなって評価されたものや、星里もちるや窪之内英策のいまだ未収録の中編、現在活躍している作家の新人時代(へたするとデビュー作)の読み切りやパイロット版(石川優吾の『よいこ』はここで始まった)等、小学館系の漫画家好きには宝の山のような雑誌で、しかも唐突の路線変更によって連載が途切れた作品も多く、筆者もバックナンバーを捨てられない存在になってしまった。

そんな雑誌で、後に『D-ASH』や『宙舞』でメジャーデビューする秋重学が川崎ぶらと組んでやっていたのが、この『ニナライカ』だ。
タイトルがまるでアイヌ語のようだが、これは主人公の女子高生・「仁奈」とカメラの名機「ライカ」を組み合わせた造語。つまりこのマンガは主人公の女子高生・「仁奈」とカメラの名機「ライカ」の物語なのだ。
祖父から受け継いだ名機を使って女子高生が写真を撮る日常。これがメインテーマだ。仁奈はプロカメラマンを目指しているわけではない。祖父と同じく「素人」として写真を撮る。友達や先輩の依頼で撮る。ライバルの幼なじみよりうまく撮りたくて撮る。面白いから撮る。そういった日常をまさしく「切り撮るよう」に物語は進行していく。
このマンガが描かれた95年頃はAFカメラの機能向上と低価格化、女性カメラマンの登場など、写真が静かにカッコイイと思われていた時期であり、一種ブームだった頃だ。この『ニナライカ』がそのブームに乗って描かれたかというとそういうわけではなく、むしろ当時あまり語られてなかった「いかにして撮るか」というのが物語の軸になっている。仁奈は素人でもあり、同時にファンションで写真を撮るのではない本物の写真家でもあるのだ。
素人と玄人。芸術と日常。女子高生とクラシックカメラ。
これらのバランスをあやういところでうまくとりながら、仁奈は校内で、ライブ会場で、路上で写真を撮り、「日常」を切り撮っていく。ここで描かれる「日常」は非常に懐かしく、そして艶かしい。そもそも秋重学という人は間違いなく青春のマンガ描きなのだ。高校生活の描写はまさしく、あの、楽しくも短い時期の切り取りである。
仁奈は最終回でプロカメラマンへの道を自ら閉ざし「素人」として写真を撮ることを決意する。これはいみじくもこの楽しい「日常」がやがて消えていくものであることを意味している。楽しいから。楽しみたいから。だから本気で写真と向かいあう。自らのヌード写真で閉じられるこの物語は気持ちよく、そして終わっていくことが寂しい。このマンガにもしも一つ見どころを言うとしたらそれはやはり、この絶妙の「バランス」だろう。
秋重学は切り取られた1コマ的な絵柄のうまい人だが、物語を語らすことにはあまり才能のない人だ。それが写真に理解があり、秋重学の資質に理解があった川崎ぶらと組んだことも、絶妙の「バランス」の理由であり、同時に産物だ。
なにしろその後の秋重学の仕事が一向にこの作品を超えないのだから。

(ハリジャンぴらの)
| ハリジャンひらの | 13:23 | comments(0) | trackbacks(0) |
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